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地域コラム:国宝建築、「正福寺地蔵堂」をご存じですか?
2024.08.15
テーマ: コラム
皆様こんにちは。
私達木づつみは、地域に根付いた工務店としてさらに東村山を盛り上げるべく、今後東村山の魅力をお伝えしていきます。
第一弾は、「正福寺地蔵堂」です。
正福寺地蔵堂は、東京都東村山市野口町四丁目の住宅街にひっそりと残されています。
東京都の中で国宝建築物に指定されているのは、港区の迎賓館赤坂離宮と東村山市の正福寺地蔵堂の二つだけです。さらに現存する神社や寺院は他にもございますが、室町時代に建てられた正福寺は、数々の災害を乗り越えた東京最古の木造建築物とも知られています。地元の方から今後東村山に訪れる方まで、皆様に知っていただきたく、ご紹介させてください。
*出典:文化遺産オンライン 正福寺地蔵堂
正福寺地蔵堂 文化遺産オンライン (nii.ac.jp)
歴史的背景
正福寺は鎌倉の建長寺末寺に属する臨済宗のお寺です。1407年に設立された木造建築と伝えられていますが、未だに謎が多く起源は不明瞭です。
南宋の径山興聖万寿禅寺の石渓心月を開山とし、当時の鎌倉幕府の執権、北条時宗、もしくは時宗の父である北条時頼により開創されたといわれています。しかし、地蔵堂の発見の際、建立時期のズレが1世紀以上あることが分かりました。ですが、地蔵堂以外の建造物は火災などで失われてしまったために、縁起を裏付ける資料が現存せず、地蔵堂の建立者も含めて確認することはできません。
「北条時宗が鷹狩りの折病気になり、夢枕に黄衣をまとった地蔵菩薩が現れ丸薬をくれた。これを飲み、眠りから覚めたら病が治ったので、地蔵尊を信仰して、弘安元年(1278年)正福寺を開創した」と寺伝にあります。しかし、昭和9年改修の際発見された墨書銘により、室町時代の応永14年(1407年)の建立とわかりました。
正福寺は当初から地蔵堂として建立されたようで、内部には本尊の地蔵菩薩像のほか、多数の小地蔵が祀られています。そのことから地元では、「千体地蔵堂」ともいわれています。
建築について
30年に一度、屋根を葺き替えており、近年だと平成17年(2005年)に行われています。
建築当時と比べ、屋根の葺の種類が変わっていることも、扮(そぎ)板葺から草屋根(茅葺)へ葺き替えられたと言われていました。茅葺にするための変更痕跡やこけら板残片が見つかったため、同時代の建物を参照して上層屋根はこけら葺に復元されました。また、下層はこの修理で保護のため、板葺の上を銅板張に変更しています。
そして、境内には市指定有形民俗文化財の貞和の板碑も残されています。こちらは、ある僧が自分の死後の冥福を祈って造立したと伝わるもので、一時期は川の橋として用いられていたこともあるそうです。
写真:葺き替え工事の様子/右:東面野垂木(のだるき)左:野地板状況(西面)
*出典:東村山市たのしむらやまポータル
正福寺地蔵堂 | 東村山市 (city.higashimurayama.tokyo.jp)
なぜ国宝に指定されているのか
1929年7月1日に正福寺地蔵堂が国宝に指定され、のち1969年3月31日に貞和の板碑が東村山市指定文化財になりました。さらに1972年3月31日に正福寺地蔵堂内部の千体小地蔵尊像が、東村山市指定文化財に指定されました。
国宝になった背景には、正福寺地蔵堂が典型的な禅宗様形式であることが挙げられます。反り上がった柿葺の入母屋造の屋根の特徴があり、波型欄間や花頭窓などの美しいデザインと、地蔵信仰の特徴である地域との深いつながりが背景にあったことで、国宝に認定されました。
イベント
現状あまり知られていないためか、三が日の参拝客が少ないので、穴場のスポットとしてもおすすめです。堂内は、東村山市指定文化財の貞和の板碑と千体小地蔵尊像が安置され、シンプルな展示がされています。6月の菖蒲まつり、8月8日、9月24日、11月3日の年4回公開されていますので、ぜひ足を運んでみてください。外観は常時参拝ができます。
より詳しく知りたい方は、東村山ふるさと歴史館に解説がございますので、合わせて見学いただくといいかもしれません。
今後も東村山市の魅力を発信していきますので、楽しみにお待ちください。